こんにちは、マキモノです。
私の地元、熊本が豪雨災害で大変な事になっています。
実家は氾濫した球磨川からはもっと北に離れていて、川や山のそばではないので無事でした。
ですが、一番近い川も危険水位を超えたと聞きました。
見慣れた場所が変わり果てた姿になっているのをテレビでみて、とてもショックを受けています。
今日と明日、また大雨になっているようで、さらに被害が大きくならないか心配です。
そして昨日私は、テレビで被害の様子を見ながら「そうか今日は7月5日か…」と、35年前のあの日のことを思い出していました。
35年前。
中学1年生になって数ヶ月たっていました。
7月5日夕方、学校から帰宅していた私にニュースが入りました。
『川遊びをしていた中学生数人のうち二人が溺れて亡くなった』
同級生の男の子達でした。
亡くなったうちの1人は小学校も同じで、よく一緒にふざけて遊んでいて、明るくて面白く走るのが早い人気者の男の子でした。
前日は大雨だったものの、その日はとても暑くて良い天気。
部活のサッカーもグラウンドが使えなかったのか休みになり、1年生サッカー部の数人で放課後、川に泳ぎに行ったようです。
近所の川の上流は水がとてもキレイで、よくみんな泳ぎに行っていたような場所でした。
ただ、前日の大雨でかなり増水し、流れも速くなっていたのでしょう。
そのニュースを聞いた私は何が起きたか理解出来ず、しばらくしてじわじわと涙があふれたのを覚えています。
私の人生で初めての身近な人の死でした。
次の日の朝学校に行く時に、母が「これ学校に持って行きなさい」と、庭に咲いていたグラジオラスの花を摘んで持たせてくれて、学校の彼らの机に飾りました。
それから毎年7月5日には、一緒に川に行っていた友達や仲の良かった子達で、亡くなった彼のお家に集まるのが恒例になりました。
彼の両親の心の痛みははかりしれないですが、私達が来るのを毎年楽しみにしてくれて、ごちそうと楽しい話をしてくれました。
私達が大きく成長していくのを見るのが楽しみだと言ってくれていました。
我が子を重ねていたのでしょう。
私達も高校でみんな別々の学校に行っていたので同窓会気分で集まるのがとても楽しみでした。
そしてそれは高校卒業まで続きました。
私は大学で地元を離れてしまったので、集まりがその後いつまで続いたのか分からないのですが、毎年7月5日には彼らの事を思い出し、空に手を合わせています。
毎年この時期、川での水難事故のニュースを見るたびに胸が痛いです。
子を持つ立場になり、子には私のこの経験を話し、絶対に雨の後は川に遊びに行かないように注意しています。
自然は素晴らしいです。
生活に欠かせないものでもあります。
ですが時々猛威をふるいます。
そして毎年のように水害が起きています。
今回の豪雨災害が早くおさまりますように。
被害に遭われた方に穏やかな生活が戻りますように。
マキモノでした。